性格が悪い

何かを書いたような気になっているが何も書いていないブログ

『ディック・ジョンソンの死』を観た

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「ディック・ジョンソンの死」

シチズンフォー スノーデンの暴露」などで撮影を担当し、本作の前に監督した「Cameraperson」も高く評価されたキルステン・ジョンソンの最新作。

海外の映画サイト等で高く評価されており(IndieWireの「2020年のベスト映画50」では第10位)、「高齢の父親ディックの死を監督がシミュレーションする」という奇妙な設定にも惹かれて鑑賞した。

作中前半の死に方(もちろん作り事なわけだが)がけっこうヴァイオレントで、ホラー映画監督のフィクションを観ているような気分になる。しかもディックがわりとノリノリでやっているように見えるので笑ってしまう(暴力表現が苦手な人はマジで怖いと思うかもしれないが)。

でもすでに他界している妻(つまり監督の母)が認知症の末に亡くなったこと、そしてディックもまた認知症が始まっていることなどが明かされていくに連れ、映画はシリアスなトーンを帯びていく。この作品は「避けられない死を当人と周囲がどのように受け入れていくか」という映画なのだ。現在42歳で、63歳の母親を持つ自分(父は昨年他界)にとってもこれは切実なテーマで、終始複雑な思いにとらわれながら観た。

シアトルからニューヨークに越して監督と同居することになり、マイカーを手放さざるを得なくなったディックを見ているのはつらい。自身の祖父が最近免許を返納しガッカリしていた(家族としてはホッとするが)ことを思い出した。きっと車の運転が好きな人にとって、とてもつらいことなのだろう。自分は免許を持っているが運転センスがなくほぼペーパードライバーで良かった、と、いやそんなことは関係ないのだが。

ドキュメンタリーという体ではあるものの、この映画の少しツイストされた構造にはフィクション作品の魅力をも感じる。父に「なんでフィクションを撮らないんだ。もっと儲かるのに」と問われた監督はそのとき即座にその理由を返答するが、もしかすると制作中に少し気持ちが変わったのかもしれない。

それにしてもこんな企画にGOが出るというのがすごい。個人的に見えて実はとても普遍なテーマだとはいえ、日本だったら絶対に通らない企画だろう。

https://www.netflix.com/jp/title/80234465

 

『アボカドの固さ』を観た

人がフラれてもがく話は好き。やっぱり最後にかわいいあの子とうまくいってハッピーエンド、みたいな話つまんないじゃないすか。主人公がひどい目に遭えば遭うほどウキウキしてくる。

この『アボカドの固さ』は予告編の時点でなんとなく気になっていた。主人公の前原瑞樹という俳優(を前原瑞樹という俳優が演じている)が5年付き合った恋人・しみちゃんと別れるんだけど、やっぱりよりが戻したくって見苦しくもがくという話。

この映画、前原瑞樹役の前原瑞樹(ややこしい書き方だな)の実体験がベースになっている。前原瑞樹といえば、やっぱり恋がうまくいかない主人公が出てくる『僕が好きな女の子』にも出ていたよね。

ただこういう映画ってけっこう紙一重だなあと思っていて、なぜかというと、その作品に関わってるやつの実体験をベースにした作品って、典型的な自主映画とかにありそうな話でしょ。だからひとりよがりになってもおかしくない。でも自分は観ちゃう。どうしてかっていうと主人公がフラれる話が好きだから。何度同じこと言ってるんだ。

とはいえこの映画には監督の城真也と脚本担当の山口慎太朗の視点というか切り口も入っているので、ただのひとりよがりなありがち映画にはなってないと思う、たぶん。だって退屈しなかったんだもの。

まずこの主人公の前原ね、すごくダメ。演じている前原瑞樹にダメ出ししてるようで申し訳なくなっちゃうけど、モテない自分から見てもダメだなと思う。特に、フラれたあと友人との飲みの席で、ある友人の女の子の話になったら「今日はフラれた俺のために集まってるんだから俺の話をするべきでしょ(みたいなことだったと思う)」と言っちゃうところね。

「こういうやつ、いるんだよなあ」って、具体的な実例を思い出せないけど思っちゃう。パンフに前原瑞樹とそのお姉さん(映画プロデューサー)、そしてお兄さん(教員で声楽家)の鼎談が載ってるんだけど、「自分が話題の中心にいないと不機嫌になる」っていう証言があるということは、あの居酒屋のくだりは本当にあったことっぽいわけで、とにかく見ててきつい。ただ弁護するなら、もっと姑息なやつはね、「俺のために」とも言わないで自然に自分に話題を戻そうとするんですよ。まあ俺のことなんですけどね。

ただね、前原は本当に最悪な男かっていうとそうでもなさそう。それは結末にも現れてるんだけど、ダメではあっても憎めなくて、なおかつそれなりに魅力もあるんだと思う。イケメンではないけど全然モテないということはないんだろうな。世の中ってそういうもんでしょう。この人いろいろダメだしすごく見苦しいことするけど、でも結婚とかできてるよなあ、とか。いろいろダメだしすごく見苦しいこともするしモテないし恋人もできないし結婚もできないしマッチングアプリもマッチングしない俺はどうしたらええねんと叫びたくなるけど、まあそれはまた別の話。

まあこの映画、そんなに劇的なことは起きません。強いて言うならパジャマ着たあの人とあの人が立ってるシーンはちょっとホラーっぽくて怖かったし、アボカドが転がるシーンもなんかそこだけ不気味だった(あれすごくうまくアボカドが転がってたんだけどCGか? そんな予算ないか)。でもこれといったすごい修羅場はなく、すとんと静かに終わる。

観てて連想するのは『愛がなんだ』。上述した前原瑞樹のお姉さんが『愛がなんだ』のプロデューサーだったりするのがちょっと面白い。でもこの映画の前原には『愛がなんだ』の主人公のテルコほどの狂気はなくて、ちゃっかりほかの女にも行こうとするあたりが調子いいというか、イラッとはするけども、やっぱりテルコほどはやばくない。今泉力哉風かと言われればそうでもないし、なんだか不思議なバランスでできた映画という印象です。とはいえ難解さはなく観てて笑えるシーンもあるので、みんな楽しく観られるんじゃないかなあ。

ちなみに自分が観た日は、この映画のタイトルのもとにもなった和歌を書いた俵万智氏と監督・前原コンビがZoomでオンライントークする日だった。そのとき思ったのは、素の前原瑞樹本人に愛嬌があるというか、なんかいろいろズボラそうだしやっぱりダメそうなんだけど愛されキャラっぽいなあということ。自分にはない素質だからちょっとうらやましい。

最後に脈絡なくタイトルのアボカドの話するけど、あれって買ってきてから固いとマジで腹が立つんだよな。自分は「死ね!!!」って叫びながらアボカド全力投球したことがある。壁に向かって(気持ちが落ち着いてからレンジで温めておいしくいただきました)。

今日もぜんぜんうまく感想書けなかったな。まあ『TENET』もいいけどこういう映画も観たらいいと思うよ。『TENET』いい席のチケット取れないんだよ。


映画『アボカドの固さ』予告編

『ブルータル・ジャスティス』を観た - ゆるふわだけど人はしっかり死ぬ

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この映画を観たのは、アフター6ジャンクションで紹介されてたから。たぶん同じ理由で本作を観に映画館に行った人多いと思うけど。

www.tbsradio.jp

↑のトークを聞けば、このブログを読む必要はないけど、気が向いた人は読んでね。

S・クレイグ・ザラーという、クセの強そうな、でも面白い映画を撮る人がいるということは知っていた。で、過去に撮った2本、『トマホーク ガンマンvs食人族』『デンジャラス・プリズン -牢獄の処刑人-』がそれぞれU-NEXTとNetflixで配信されてたから観たんだけど、これがどっちも面白い。

邦題がすごくダメ映画な雰囲気出しちゃってるけど、実際に観たら全然印象が違う。すごいのは、いわゆるウェルメイドな映画ではないんだけど、同時にただのB級映画でもないっていう独特なバランス感覚。すごく変でクセが強いんだけど、これは作家性だからいいんだよ、こまけえことは、と強弁したくなってしまう才能だと思う。

そのクセっていうのが何かというと、雑に3つ挙げるならほとんどスプラッターな暴力描写、長い上映時間、随所に出てくる“弛緩”した会話。例えば『トマホーク』でのリチャード・ジェンキンス演じる保安官補佐官のゆるふわトークとか、『デンジャラス・プリズン』の最後の嫁とあいつのあの会話とか、今回の『ブルータル・ジャスティス』でいうならメル・ギブソンヴィンス・ヴォーンのやりとり。

今作の場合特に、メインの筋書きは確実に緊張感があるのに、登場人物たちがものすごい勢いでゆるい。だって「金に困った刑事コンビが悪党から金を奪おうとするんだけど思わぬ事態に陥っちゃう」っていうよくある筋書き、普通はどんどん刑事が追い込まれてうわーってなるでしょ? 確かに「うわー」とはなってるんだけどさ、なんか他人事みたいなんだよね。「けっこうヤバそうなことに手出しちゃうけどお前も加わる?」「うーんちょっと保留」みたいなところから始まるから。「うわー」っていうか「うわぁ〜(棒)」みたいな印象。ポスターの「正義を棄てた日 男たちの運命が交錯する」っていうコピーさ、間違ってはないけどなんか違くね?って思うのは自分だけかな。

笑えるところはいくつかあるけど、例えばメル・ギブソン演じる刑事がなんでもかんでも確率にして「%だな」と言い切っちゃうところ。刑事コンビのやりとりが漫才みたい。ヴィンス・ヴォーン演じる相棒も有能なんだか間抜けなんだかよくわからないし、彼の物語でいえば、あんな修羅場にいるのに前半で張られた伏線がゆるふわに回収されていくのともすごい。いや大事なことなんだけど、それどころじゃない…いや大事なことだよな…って困惑してしまう。

今回はたぶんザラー最長の2時間39分という上映時間なんだけど、↑に書いたヴィンス・ヴォーンのくだりも含めて「これ普通は切るよね?」というシーンがいくつもある。でも切ってしまったらザラーの作家性は失われてしまうというのも確か。かといってこれをほかの誰かが安易に真似してもうまくいくわきゃない

ていうか2時間15分ぐらいかなと思ってたから、さっき時間確認して「体感より24分もなげーよ!」と驚いた。まともな感覚でカットしたら1時間48分ぐらいに縮まるはずだ。これは褒め言葉なんだけど、この監督はあらゆる意味でキチガイだと思う。キチガイだからプロデューサーとか映画会社も「ダメだこいつは…あかんやつや」と説得をあきらめるのかもしれないな。

『デンジャラス・プリズン』でも思ったけど、主人公が妙に無表情で感情をあまり表に出さないところ、突発的で冷徹な暴力描写、前述したようにヤバい話なのに随所に弛緩したシーンがあるっていう意味で、個人的には北野武の初期を連想する。『その男、凶暴につき』で犯人を追いかけてた刑事が疲れて歩いちゃうところとか。『デンジャラス・プリズン』の主人公とか、奥さんと子供を救うっていうモチベーションは確かにあるんだけど、どこか感情が消えてるんだもの。

まあ宇多丸氏も言ってるように人を選ぶ映画なのは間違いないけど、こんな面白い作品が東京ではバルト9でしかかかってないっていうのがもったいない(そのせいか土曜昼の回でほぼ満席だった)。撮影も音響もすごいのでこれは映画館で観るべき映画ですよ。あと10月2日には池袋の新文芸坐で『トマホーク』上映するので、気になる人は観に行ってみたらいいんじゃないかな。

それにしてもトーマス・クレッチマンがあんな役で出てるなんてね。エンドクレジット観るまで気づかんかったよ。

youtu.be

『幸せへのまわり道』を観た

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アメリカの子供向け番組「Mister Rogers' Neighborhood」の司会者として知られる実在の人物フレッド・ロジャースをトム・ハンクスが演じた人間ドラマ。

この映画、トム・ハンクスが今年のゴールデン・グローブ賞とかアカデミー賞助演男優賞でノミネートされていたのに、日本ではなかなか公開されなかった。ようやく公開されると思ったら、ヒューマントラストシネマ渋谷がメイン館で、TOHOではなくイオンシネマ中心のひっそりした上映規模に。

宣伝もほとんどされてないのは、日本ではなじみのない人物がテーマになっているからということもあるし、本国アメリカでも批評家からは支持されているものの興行収入は期待通りでなかったからなのかもしれない。

どういう話なのか雑に説明すると、あまり人間味のない記事を書くジャーナリストがフレッド・ロジャースを取材することになり、その過程で絶縁していた自身の父との関係を取り戻していくという物語である。

原作は雑誌エスクァイアにトム・ジュノーという記者が寄稿した記事。でも内容はかなり脚色されているようで、例えば主人公(この映画の主人公はフレッド・ロジャースではないのだ)の名前はトム・ジュノーではなくロイド・ヴォーゲルに変わっているし、映画の冒頭で起きるある一悶着も実際には起こっていない。

問題を抱えた人物が偶然出会った人間に影響され、自分の人生を見つめ直していくというのは“よくある話”である。ある程度まともな脚本といい演技、堅実な演出があれば(いや、それが難しいんだけど)いい映画になる。でもそういった映画は確かに“ウェル・メイド”ではあるものの、いささか退屈な教科書的作品に見えてしまうこともありがちだ。

でもこの『幸せへのまわり道』は「よくできたいい話」でありながら、単なる「よくできたいい映画」にはなっていない。ネタバレになるので詳細な描写は避けるが、レストランにてロイド・ヴォーゲルとフレッド・ロジャースが会話を交わすシーンで、監督のマリエル・ヘラーが思いついたあるアイデア、そしてそれに120%応えるトム・ハンクスの演技。このシーンで僕は震えた。

優れた映画はスクリーンから観客の首根っこをつかんでしまう。それはときに恐怖表現であるし、爆笑を誘うシーンであるし、登場人物と観客の感情が完全に一体化する瞬間である。前半のフレッド・ロジャースが自身の番組について語るくだりと呼応するこのシーンで、カメラは映画を観ていた観客と2組の人々が一体化していくさまをゆっくりと捉えていくのだ。ここには映像表現だからこそ可能な感動がある。

そしてこの作品は温かいだけでなく、ちょっとした不穏なムードも持ち合わせている。ロイド・ヴォーゲルがある人物の影を見かけて追うシーンや、ラストで描写される、フレッド・ロジャースの「その後」を予期させる場面が、この作品をただの「いい映画」に留まらせない。このあたりにマリエル・ヘラーの独特なバランス感覚があるように思える。

トム・ハンクスとフレッド・ロジャースの容姿は全然似ていないし、メイクやソフトな喋り方などである程度近づけようとはしているものの、いわゆる完コピ型演技ではない。でもフレッド・ロジャースの奥さんが語ったように、トム・ハンクスがこの役を演じるのにうってつけの俳優だったのは間違いないと思う。トム・ハンクスはこの映画のオファーを受ける前に、実在の人物を演じることをしばらくやめようと思っていたようだが。

マリエル・ヘラーの前作『ある女流作家の罪と罰』は悪くない映画だったがいささか冗長に思えたのに対して、この『幸せへのまわり道』は冒頭からラストまで一瞬も目が離せなかった。実は観る前は「まあ普通にいい映画なんだろうなあ」ぐらいにしか思っておらず、おまけに前日3時間ぐらいしか寝ていなかったので不安だったのだが、蓋を開けてみれば今年のベスト10候補に入りそうな勢い。こういうことがあるから映画は面白いし難しい。

宣伝もほぼされておらず『幸せへのまわり道』なんていう微妙な邦題もつけられてしまった不遇の作品ではあるが、観たあと全力で他人に薦めたくなる1本である。 

www.misterrogers.jp

男ですみません──『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで

チョ・ナムジュの小説『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ。

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

どのような本なのか?ということはすでにいろいろなところで説明されているので、ここでは詳しく触れないが、読んでいてつらくなってくる物語である。

何がつらいのか一言で表現するとしたら「男ですみません」ということになるだろうか。

僕はこのお話に出てくる大半の男、例えばキム・ジヨンの父親とか、彼女の最初の恋人とか、女子トイレを盗撮するやつらとか、母親になった彼女がカフェでコーヒーを飲んで休んでいるのを見て「ママ虫(マムチュン)」(韓国におけるネットスラングで「育児をろくにせず遊び回る害虫のような母親」という意味らしい)なんて言葉を吐くサラリーマンほどのひどい人間ではないはずだ。

はず、なのだが、実際にはどうだろうかと思う。チョ・ナムジュと同い年の僕はこれまで「女は男に劣る存在である」と思ったことはないものの、どこかで女性に対しての歪んだ価値観は持っていた気がするし(いわば「女はこういうものだ」的な決めつけ)、実は自分が気付いていないだけで、かなりひどいことをしてきたのではないか。

『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んでいて気付かされるのは、そういった、自分の中でひっそりと着実にこびりついていった罪の意識である。僕は自分の父親の「女が調子に乗ると世の中はろくなことにならない」という発言に辟易したし、ネットにあふれる女性蔑視にも本当にうんざりしているけど、自分が完全に潔白な存在であるとは言い難い。父親であるにせよ世間であるにせよ、それらが持つ女性への歪んだ見方が自分の中でしっかり内面化されていることに気付かされる、そんな本を読んでいて心地いいわけがない。

キム・ジヨンの夫であるチョン・デヒョンについて、訳者の斎藤真理子氏は「妻を一生けんめい理解し、味方になろうとしているのだが」と評しているが、本当にそうだろうか、と僕は思ってしまう。きっとデヒョンは悪い人ではないのだけど、彼もまた僕のように、それまでに染み付いた価値観があまりにも自分の奥深くに根を張っていることに気付いていないのではないだろうか。では僕やデヒョンは“許される”べきか。

この本を読んでいて本当に居心地が悪くなるのは、前述したあからさまに下劣な男たちではない。彼らは映画で言うなら、とてもわかりやすいヴィランである。自分とは違う世界にいる連中だと唾棄できる。でも『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んでいて、もっとも厄介な暗い影として浮かび上がってくるのは、自分自身だ。

もちろん世のほとんどのまともな男性は「俺はそんなことないぜ」と思うことだろう。だからこの記事のタイトルの「男ですみません」はいくらなんでも主語(厳密には主語じゃないか)がでかいのではないか、とツッコまれること必至なのであるが、とにかく読んでいてつらく、同時に面白い本なのである。

というわけで、ある種のマゾ的快楽を感じられる読書体験を得られるこの本を、ぜひ世の男たちにも読んでもらいたい。懺悔とかそういう意味ではなく、この本を女性ばかりが読むのはいろんな意味でもったいないと思う。

ちなみに映画でデヒョンを演じるのは『トガニ 幼き瞳の告発』『新感染 ファイナル・エクスプレス』のコン・ユである。彼があの、悪い人じゃないんだけどちょっともどかしくもあるデヒョンをどのように演じるのか、今から楽しみだ。