性格が悪い

バカのくせに映画の感想とか書くブログ

『寝ても覚めても』について

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待ちに待った『寝ても覚めても』を観てきました。

ざっくり言うと、これは傑作です。今年の日本映画の中でも3本の指に入ることは間違いない映画。もちろん自分的に、だけど。

原作は柴崎友香の小説で、柴崎さんといえば、僕がこれまで観た中で最も関西弁が自然な映画『きょうのできごと』の原作者でもあります。

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雑に説明すると、『寝ても冷めても』の大筋は“瓜二つの男二人の間で主人公が揺れる”というものです。主人公の朝子は牛腸茂雄の写真展で、麦(「ばく」と読む)という怪しいイケメンに出会い、彼に恋をします。原作では大阪のどこかの展望台っぽいところで会いますが、舞台を牛腸の写真展(有名な、双子の女の子の写真がばっちり映る)に変更しているところが示唆的です。

この時点で「なんだかこの映画はすごそうな気がするぞ」という予感がしてしまうわけですが、直後のあるショットでさらに心をつかまれるんですね。それは、上りのエスカレーターに乗っている朝子を少し見下ろすような角度で撮ったショット。一見なんでもないような画ですが、僕はこのショットで唐田えりかのキャスティングは大正解!と感じてしまいました。彼女の瞳ってなんかこう、どこを見てるのかわからないところがあって、見つめられると(正確にはカメラという装置を介して彼女と相対しているだけなんだけど)不安になってくるんですよね。映画的快楽と戦慄がないまぜになったようなぞっとするショットで、もうこれは傑作に決まっていると思わずにはいられないオープニングです。それにしても、舞台挨拶の写真などで見る唐田えりかはやっぱり普通のかわいらしい女の子で、『寝ても覚めても』ではなぜこうも別人に見えるのかと感心してしまいますね。それは間違いなく監督の手腕だと思うのですが。

原作は登場人物がそこそこ多く「え、この人誰だっけ?」と思ったりもしちゃうんですが、映画ではかなり人数を減らして整理していました。大筋は変えずにいろいろと改変がなされていますが、例えば東日本大震災についての描写があるのは映画オリジナルです(そもそも原作は震災前に刊行されている)。瀬戸康史が演じている亮平の後輩は、原作に出てくるキャラクターをもっとふくらませたもの。伊藤沙莉が演じる朝子の親友・春代は、原作のおっとりしたキャラクターとは違って、もっと大阪のおばはん的なキャラクターになっています。

ここでやはり触れておきたいのが、伊藤沙莉という女優の存在感です。彼女は千葉出身ですが、今作に出演している俳優の中ではダントツで関西弁がうまい(渡辺大知はもともと関西人なのでうまくて当たり前)。さらに、大阪のおばはん的な、ちょっと図々しいような、でも可愛げのある憎めないキャラクターを見事に演じています。全体的に不穏なムードが支配する本作ですが、伊藤沙莉が出てくるとなんだかホッとしてしまう。ドラマ版『この世界の片隅に』でもそうですけど、彼女はコメディリリーフ的な役がうまい上に、物語をきりっと引き締めることができる存在なんですよね。決して大げさな話じゃなく、将来的に樹木希林みたいな存在の女優になっていくのではと期待してしまいます。

さて、すごいショットは前述のオープニングのみなのか。実はクライマックスにもすごい場面が出てきます。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、濱口竜介監督の師である黒沢清を思わせるようなとんでもないショットが出てきます。ここで観ることのできる映像トリックは決して真新しいものではありません。むしろ手垢がついた感すらあるものです。それがなぜここまで恐ろしいのか本当に不思議です。おそらく、フレーミング、照明、編集、音という数々の要素が絶妙に組み合わされているからでしょう。

僕は原作を読んだとき、終盤の数十ページで「これはほとんどホラーでは」と思ったのですが、映画の上記シーンでは「これはホラー」と、“ほとんど”と“では”が取れてしまいました。俳優がものすごく無茶なスタントを披露するアクション映画とか、徹底的に計算して人を怖がらせようとする純正ホラー映画だけが人を驚かせるわけではないのだと心底思います。小林勇貴の『NIGHT SAFARI』でダンボールの壁を車が突破するショットを観たとき、全体的にチープな作りなのにこのショットはあまりに映画的だ、俺は映画を観ているぞ!と痛感したのですが、『寝ても覚めても』の上記シーンもまさに「映画を観ている、俺は映画を観ているぞ!」と思わされるもので。たぶん、こういう瞬間(そして、それはめったに出会えない)に立ち会うために自分は映画を観ているんだと感じますね。

くどくどと書き連ねてきましたが、やはり『寝ても覚めても』が今年の映画を語るうえで外せない1本であることは間違いないです。『カメラを止めるな!』ももちろん面白かったし一つの事件ではあったけども、このもうひとつ興行が振るわない『寝ても覚めても』を自分は全力で推したいところ。主人公に感情移入するかできないかとか、そういう個人的にはどうでもいい評価軸からまったく外れたところにある映画であるのは間違いないです。ほんと、なんでみんな主人公と自分のマインドが近いところにあってほしいって思うんでしょうね…僕にはまったく理解できない。フィクションの主人公と自分が同じような考え方、倫理観を持っているべきだという思想って、全体主義につながってくるような不気味な感覚です。

共感主義も不気味ですけど、僕はフィクションの登場人物に自分の倫理観を重ね合わせるのって、作られた物語にあまりにも埋没しすぎていて危険なのではと感じるんですよね。映画が好きな人って、たぶん「これは作り物だ」ということを無意識的にすごく理解してる人な気がするんですよ。だから、どれだけ倫理的におかしい登場人物が出てきても飲み込める。このお話の中ではこういう人がいてもおかしくないと思える。でもフィクションに慣れていない人って、そこで起きていることが作りごと(それが史実をもとにしたものであったとしても)だということを本質的に理解していない。だから登場人物の行動に、実生活の規範のような枠を使ってジャッジを行ってしまう。実は、映画が大好きな人よりも、映画に悪い意味で入り込み過ぎてるんですよね。朝子みたいな女が身近にいたらそりゃどうかと思いますよ。でもこれは小説であり、映画なんです。この映画に限らず、「登場人物の行動が許せない」という人を僕はあまり信じないようにしています。これは作り事ですよ、という意識の中でなされる登場人物の行動の矛盾は、実社会でのルールから外れた登場人物の行動とは違った意味でジャッジされるべき。…って、何を言ってるのかわからなくなってきましたけど、とにかく『寝ても覚めても』が素晴らしかったということだけは言っておきたいことで。

ただ、一つ気になることが。中盤のクラブシーンがびっくりするぐらいダサかったんですけど、これはわざとなんでしょうか。正直、なんらかの意図をもってやってるとしか思えないぐらいダサかったんですね。日本映画のクラブシーンがダサいってのはさんざん言われてることですけど、『寝ても覚めても』のそれは屈指のダサさです。実は、朝子の行動よりも、麦の得体のしれなさよりも、何よりもこのクラブシーンのダサさが最大の謎かもしれない。