『永い言い訳』を観た
『淵に立つ』を観たあと、近くの映画館でたまたまかかっていたので観てきました。奇しくも「ある家族に1人の部外者が加わる」という筋は同じ。でもこの『永い言い訳』は『淵に立つ』よりも温かい話になっています。
本木雅弘が演じる主人公・衣笠幸夫は広島カープの鉄人・衣笠祥雄と同じ名前であることにコンプレックスを抱き「津村啓」というペンネームを名乗る作家です。映画は深津絵里が演じる妻・夏子と幸夫の会話シーンから始まるんですが、冒頭から幸夫がすごーく嫌な感じを醸し出しています。
ここで気付いたんですが、モックンと深津絵里って僕が高校生のときに夢中で観てたドラマ「最高の片想い」のコンビなんですよね。あのときは深津さんが一途に一途にモックンを追い掛ける役でした。『レボリューショナリー・ロード』のディカプリオとケイト・ウィンスレットじゃないですけど、『最高の片想い』の2人が結婚した成れの果てがこの夫婦なのかな……なんて考えてしまいました。
夏子は友人と一緒に向かった旅先でバス事故に遭って死んでしまいます。彼女は家を出るときに、幸夫になんだか意味深なことを言うんですよね。まるで、もう二度と会わないことを予期しているようなフレーズを。これは中盤のあるシーンへの密かな伏線になっている気がするのですが。
で、幸夫が黒木華演じる愛人としっぽりずっぽり浮気をしている間に(自宅でやるという大胆さ)夏子は死に、警察から電話がかかってきます。幸夫は遺体と対面したり、葬儀でもっともらしいことを言ってみたりするのですが、悲しみを感じることができません。
そしてひょんなことから、妻の友人(この人も事故死してしまった)の夫・陽一とその子供たちである真平、灯と関わり出すようになります。陽一を演じているのは『海炭市叙景』にも出ていた竹原ピストル。トラックの運転手で、キレるのかと思いきや次の瞬間にはニッコリ笑ったり、コテコテの肉体労働者で、幸夫とは正反対のタイプです。
陽一がほとんど家を空けていることから、幸夫は真平と灯の面倒を見るようになります。正直、幸夫のような男がささいなきっかけで陽一たちとあそこまで関わるようになるのには違和感がありました。もう少しその過程をちゃんと描いてほしかったなという気はします。特に終盤、幸夫が子供を持つことについて語るシーンがあるので、余計に。
真平と灯を演じている子役たちの演技が見事で、きっとこれは西川美和監督の演出が素晴らしいからでしょう。師匠の是枝裕和監督を思わせるほどに子役がいきいきしており、フィクションに出てくる子供にありがちな不自然さはまったく感じられません。簡単に言うと「ガキってかわいいばっかじゃない」ということを本当に見事に見せる。このあたりは見事だと思いました。
幸夫は酒を飲むと非常にめんどくさくなる男なのですが、ちょっとタイプは違えどうちの父親も酒を飲むとこんな風になるので「うわぁ、なんだか見たことあるなあこのめんどくさい感じ……」と思ってしまいました。同時に、上にも書いた、幸夫が子供について語るところなんかは僕も同じようなことを考えていたのでちょっとギクリとしたり(今を生きる大人の男性はけっこうみんなギクリとしそう)。幸夫の「根は悪い人じゃないけど問題はたくさんある」というキャラクターに、モックンはピッタリはまってましたね。少なくとも『最高の片想い』の時みたいなヒーローではない。
中盤のあるシーンで、幸夫が“あるもの”を発見してしまうところには西川監督らしい意地悪さが出ていました。今回、西川監督にしては割りと優しい話だなと思っていたのですが、やはり甘やかしてはくれないのですよね。僕は意地悪な映画監督は嫌いじゃないのでいいんですけど。
ただ、既に書いたように、幸夫が陽一たちと打ち解けていくのが早すぎるように思えたり、映画の転換点として同じパターンを使ってしまっているところにはちょっと首をひねってしまいました。特に後者は、もうちょっと別の展開が考えられなかったのかなと。面白い映画ではあったし前作『夢売るふたり』よりは格段に良かったのですが、西川監督ならもっともっとできるはず!と思ったのも確か。
まあなんにせよ、西川監督も今後ずっと追っていく映画人なので、次作を正座して待ちます。