ぼくは性格が悪い

バカのくせに映画の感想とか書くブログ

祖母とガリガリ君

 先週半ば、朝の5時前に母親から電話がかかってきた。そんな時間に家族から電話がかかってくるとなれば、もちろんそれは不吉な報せだ。

 亡くなるとしたら誰だろう? と考えたとき、父親かもと思った。重病を患っているわけではないが、最近狭心症の発作に見舞われたと聞いていたからだ。でも、亡くなったのは母方の祖母だった。心筋梗塞ということだった。
 
 祖母は何年も前から半寝たきりの状態で、時折「もう充分生きたから、死にたい」とこぼしていた。だから、実のところを言えば少しホッとした。食事もとれなくなり完全に寝たきりになれば、祖父と、同居する叔父の負担も増すだろう。
 
 僕はひとまず会社に行って手離せない仕事をひとつ片付け、上司に事情を話して家に戻った。荷造りをしてから東京駅に出て、上越新幹線の切符を買う。長岡駅までの道中では、夏目漱石の『それから』を読んだ。
 
 駅に着くと、「死んだのかも」と思った父親が迎えに来ていた。暗い長岡市街の風景を眺めながら考えたのは、祖父や母が憔悴していないかということだった。母は電話で話したときに元気だったのであまり心配していなかったが、祖父の場合は、普段快活なだけに不安だった。
 
 でも家に着いてみたら、母も祖父もわりと平常運転。祖父はさすがに疲れたような表情を浮かべていたが、冗談を言う余裕も見せた。
 
 僕は母に連れられて、仏間に寝かされた祖母の亡骸と対面した。線香の匂いと、冷え切ってこわばった体の感触。父も母も「眠ってるみたい」と言った。父の母が亡くなったときも、うちの両親は同じことを言った。でも、僕にはやはり「眠ってる」ようには見えない。死に顔と眠っている顔の間には、大きな隔たりがあるように思える。
 
 母の妹の夫であり、昔からいろいろお世話になっている鎌倉の叔父さんと僕が、通夜と告別式の受付をすることになった。僕は自分が寝る部屋で、祖母との記憶を思い返した。
 
 祖母との思い出は、祖父とのそれと比べれば少ない。しかも、どうでもいいようなことばかりだ。一番鮮烈なのは、僕が小学生の頃に、山古志村の田舎道を2人で歩いたこと。何が目的だったのかはわからないけど、クソ暑い中僕と祖母は歩いた。バスなんて一時間に一本あるかないかという具合だから、歩いて家に帰るしかない。
 
 何を話したのかは覚えていない。覚えているのは、そのとき自分が食べていたアイスのことだ。確か、ガリガリ君のコーラかソーダかパインか。祖母もアイスを食べていたのだろうか。それは覚えていない。
 
 長岡には6日間いたが、家族は皆いつもと変わらず過ごしていたと思う。「こんなに普通でいいのかな」と思うぐらいに。
 
 いとこは、奥さんと3歳の息子、2匹のミニチュアダックスを連れてやってきた。僕は基本的に子供には好かれないのだけど、この3歳の男の子はずっと、僕と僕の弟の手を引っ張りまわして遊び相手にしていた。おかげで、葬儀のために集まった家族が「自粛ムード」一色になることもなかった。
 
 21歳のいとこの女の子は、祖母の棺に手紙を入れた。彼女が祖母と共有した時間はそれほど多くないだろうから、僕は少し驚いた。棺に祖母を入れる前に、ほかの家族は言葉をかけたりしていた。僕はただ、祖母の冷たく固くなった手を握った。バカみたいだけど、その冷たさから、あのガリガリ君のことを思い出した。
 
 祖母は、色とりどりの花に包まれて焼かれた。
 
 横浜に帰ってきて約一週間が経ち、ささやかな喪の期間が終わった頃、クリーニング屋に喪服を持って行った。「なんか入ってますよ」と、店員が無造作に喪服のズボンのポケットから黄色い物体を放り投げた。祖母の葬儀のとき、咳き込んだ僕に葬儀場の人がくれたのど飴だった。その飴を口に放り込んで、また少し、祖母のことを思い出した。

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