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ぼくは性格が悪い

バカのくせに映画の感想とか書くブログ

第27回「『紙の月』を観た」

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チネチッタにて鑑賞。

※ネタバレを含みます

監督:吉田大八
原作:角田光代
脚本:早船歌江子
出演:宮沢りえ池松壮亮大島優子田辺誠一近藤芳正石橋蓮司小林聡美 ほか

バブルがはじけて間もない1994年、銀行の契約社員として働く平凡な主婦・梅澤梨花宮沢りえ)は綿密な仕事への取り組みや周囲への気配りが好意的に評価され、上司や顧客から信頼されるようになる。一方、自分に関心のない夫との関係にむなしさを抱く中、年下の大学生・光太と出会い不倫関係に陥っていく。 彼と逢瀬を重ねていくうちに金銭感覚がまひしてしまった梨花は、顧客の預金を使い始めてしまい……。(シネマトゥデイより)

 『桐島、部活やめるってよ』に続く吉田大八監督作品はどうなるのか気になっていたのですが、この映画、正直筆者にはよくわかりませんでした。

 ストーリーがよくわからない、というわけではありません。銀行の専門用語? みたいなのがやたら出てきてちょっと混乱するところはあるのですが、要は主人公の梨花が顧客の金を勝手に使い込んでいき、その手口もだんだん周到になっていく…というおおまかな流れはわかります。

 実は「よくわからない」というのはこの映画そのものへのネガティヴな感想ではありません。ストーリーテリングがヘタだとか役者の演技に一貫性がないとかそういうことではないのです。

 ここでの「わからない」というのは、梨花の行動に体現される、女性という存在が持つ底知れない不気味さのことです。不気味さというとまた語弊があるかもしれないけど、男には理解できない、いやできれば理解したくない女の怖さとでもいうのでしょうか。

 筆者は女性差別などしていないつもりではありますし、女性の恐ろしさも心底知っているつもりではありますが、密かに女性を掌握したいという気持ちとか、女性に対して勝手な理想を押し付けている部分が全く無いかと言われれば少し考えてしまいます。

 勿論、大部分の女性はその奥底に持つ、いわば「業」を隠して生きていると思います。なんだかんだいって男性優位な社会にとって、その業が遠慮なく発露されれば抹殺されてしまうことは必然でしょう。

 ですが、梨花はこの業をどんどん解放していきます。年下の大学生・光太との出逢いは、あくまでその引き金でしかありません。実は光太という存在自体への執着はあまり無いようです。序盤、彼女が光太を愛しているように見えるのは、自分が解放されるきっかけを与えてくれた存在への慈しみだったのかもしれません。

 で、筆者ができればわかりたくない、知りたくない女性の業ですが、これがどういうものなのか具体的に説明せよと言われると結局困ってしまうんですよね。それは論理的に説明できるような類のものではないからです。

 時々男女のケンカにおいて、男性が論理的に説明しようとすると女性がますます怒るという現象があります。男性は困り果ててしまいます。筆者も経験があります。でも女性同士だとその感覚は理解できるようです。

 もしかするとこの映画も女性の方に圧倒的な共感を得るのではないかと思います。ネット上では「意味がわからなかった」「バレるってわかってんのになんでやるんだろ」「女がやっぱりバカだってよくわかった」とか、そういう感想をいくつか見ましたが、多分これらのネガティブな感想は殆ど男性によるものだと思います。

 多くの男性(筆者も含めて)は、多分この映画の中の梨花の行動を理解できないし、理解したくないのです。大半の男性は、梨花の夫のような立ち位置にいるのではないかと思います。最悪な夫ではないし妻のことも愛しているのだろうけど、もうひとつデリカシーに欠けている男。

 劇中では描かれていませんが、梨花がしでかしたことを知った夫の反応はやはり「意味がわからない」というものだったでしょう。もしくは、年下の大学生に入れあげていただけだ、昼顔したかっただけなんや!という風に納得するしかなかったのではないかと思います。

 そういう意味で、こんな、ある意味では「女性の、女性による、女性のための」映画を見事に作り上げてしまった吉田大八監督には感服します。脚本を早船歌江子さんに任せた(勿論完全に吉田監督がタッチしてないってことはないと思うけど)理由も、これは女性の映画だからかもしれません。

 映画オリジナルのキャラクターの一人である相川(大島優子)というキャラクターも、男性からすると居心地の悪い存在かもしれません。彼女は不倫していながらちゃっかり将来性のある男性と結婚して寿退社する要領の良さを持っています。女性はできれば不器用であってほしい、俺たちに助けられないとダメなんだと(自覚的にであれ潜在的にであれ)思いたい男たちからすると非常に居心地の悪い存在です。

 大島優子がこういう役を演じると見事にハマるんですね。日本って「うまい」役者は育ちにくくなっていると思うので、いかに正しくキャスティングするかというのが重要なんですが、そういう意味で大島優子の配役はまさに適材適所だったのではないかと。

 そしてもう一人のオリジナルキャラ・隅(小林聡美)ですが、彼女は梨花と対になるような存在です。隅は自分の欲望を抑えこんで生きてきたような人間ですが、筆者は、彼女がある意味で「男性性も持った女性キャラ」なのではないかと思いました。

 年齢的に妊娠は難しいだろうし、そのような相手もいない。ただ、仕事に対しての熱意は人一倍ある。彼女は仕事に傾倒することで自分という存在を保っているような人です。これって男性っぽいキャラ造形ではないでしょうか。

 だから、追い詰められた梨花の行動に心底動揺するのです。彼女は、自分が押し殺してきた女性性を剥き出しにする梨花を目の当たりにしてしまいます。ここでの二人の対決はある意味「女vs男」に見えてくるのです。女性としての機能を(恐らく)失くしたであろう隅と、まだギリギリ妊娠もできるかもしれない梨花との対決。

 結果的には、梨花の勝利なのです。隅の「理屈」は梨花には結局通用しません。少女時代の梨花が募金の件でシスターに咎められるシーンでも、彼女は(いわば男性的な)「理屈」をはねのけます。シスターは原則的に禁欲的で女性性を捨てている人ですから、この人も隅同様男性の代理的な女性です。

 まとまりなく長々と書きましたが、要するにこの映画は多くの男性、もしくは社会的規範から外れることを嫌悪・恐怖する人にとっては決して愉快な映画ではないんです。だから面白くない、よくわからなかったという人も多いかもしれません。

 筆者も「凄く面白かったよ!」とは他人に勧められません。『桐島』には「自分はあの生徒の位置だったなあ」と感情移入して楽しめる(勿論それだけの映画じゃないけど)余地がありました。でも『紙の月』に感じるのは「(潜在的に傲慢な)男性としての自分の居心地悪さ」だけです。

 だからといってこの映画が観る価値がないというわけではありません。映画にかぎらず芸術は「感情移入できるかできないか」だけで判断するものではないと個人的には思っています。逆に感情移入できないことで浮かび上がってくるものというのがあるのです。それが、時には自分が見たくないもの、認めたくないものであるとしても。