性格が悪い

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男ですみません──『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで

チョ・ナムジュの小説『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ。

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

どのような本なのか?ということはすでにいろいろなところで説明されているので、ここでは詳しく触れないが、読んでいてつらくなってくる物語である。

何がつらいのか一言で表現するとしたら「男ですみません」ということになるだろうか。

僕はこのお話に出てくる大半の男、例えばキム・ジヨンの父親とか、彼女の最初の恋人とか、女子トイレを盗撮するやつらとか、母親になった彼女がカフェでコーヒーを飲んで休んでいるのを見て「ママ虫(マムチュン)」(韓国におけるネットスラングで「育児をろくにせず遊び回る害虫のような母親」という意味らしい)なんて言葉を吐くサラリーマンほどのひどい人間ではないはずだ。

はず、なのだが、実際にはどうだろうかと思う。チョ・ナムジュと同い年の僕はこれまで「女は男に劣る存在である」と思ったことはないものの、どこかで女性に対しての歪んだ価値観は持っていた気がするし(いわば「女はこういうものだ」的な決めつけ)、実は自分が気付いていないだけで、かなりひどいことをしてきたのではないか。

『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んでいて気付かされるのは、そういった、自分の中でひっそりと着実にこびりついていった罪の意識である。僕は自分の父親の「女が調子に乗ると世の中はろくなことにならない」という発言に辟易したし、ネットにあふれる女性蔑視にも本当にうんざりしているけど、自分が完全に潔白な存在であるとは言い難い。父親であるにせよ世間であるにせよ、それらが持つ女性への歪んだ見方が自分の中でしっかり内面化されていることに気付かされる、そんな本を読んでいて心地いいわけがない。

キム・ジヨンの夫であるチョン・デヒョンについて、訳者の斎藤真理子氏は「妻を一生けんめい理解し、味方になろうとしているのだが」と評しているが、本当にそうだろうか、と僕は思ってしまう。きっとデヒョンは悪い人ではないのだけど、彼もまた僕のように、それまでに染み付いた価値観があまりにも自分の奥深くに根を張っていることに気付いていないのではないだろうか。では僕やデヒョンは“許される”べきか。

この本を読んでいて本当に居心地が悪くなるのは、前述したあからさまに下劣な男たちではない。彼らは映画で言うなら、とてもわかりやすいヴィランである。自分とは違う世界にいる連中だと唾棄できる。でも『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んでいて、もっとも厄介な暗い影として浮かび上がってくるのは、自分自身だ。

もちろん世のほとんどのまともな男性は「俺はそんなことないぜ」と思うことだろう。だからこの記事のタイトルの「男ですみません」はいくらなんでも主語(厳密には主語じゃないか)がでかいのではないか、とツッコまれること必至なのであるが、とにかく読んでいてつらく、同時に面白い本なのである。

というわけで、ある種のマゾ的快楽を感じられる読書体験を得られるこの本を、ぜひ世の男たちにも読んでもらいたい。懺悔とかそういう意味ではなく、この本を女性ばかりが読むのはいろんな意味でもったいないと思う。

ちなみに映画でデヒョンを演じるのは『トガニ 幼き瞳の告発』『新感染 ファイナル・エクスプレス』のコン・ユである。彼があの、悪い人じゃないんだけどちょっともどかしくもあるデヒョンをどのように演じるのか、今から楽しみだ。

「まだ結婚できない男」第2話の小ネタ

ドラマ「まだ結婚できない男」の第2話を観た。

前作「結婚できない男」に熱狂した自分(奇しくも現在、自分は「結婚できない男」において阿部寛演じる桑野と同じ40歳で、やはり“結婚できない男”である)にとって、第1話は「あれ? なんかちょっと桑野の性格変わった?」と少し違和感を感じるものであった。

今回の第2話でも顕著に現れているが、桑野が以前よりも動的である。妙に前へ前へ出てくる桑野には少し違和感があるが、13年も経てばまあ多少は性格も変わるかなと思っている。

特に笑うところのなかった第1話とは違い、今回の第2話には何度か吹いてしまった。桑野のファッションセンスが相変わらずだったこと(この人は建築士なのに服のセンスがアレである。関係ないのkか、建築と服は)はお約束として、2つほど投入されていた小ネタである。

1つは、婚活アプリで知り合った女性を待つ桑野が、目印としてホテルのラウンジに持参した本である。このとき桑野はいかにもわかりやすく本をテーブルの上に立てるのだが、それがヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」だったのである。 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

「夜と霧」はアウシュヴィッツ強制収容所を生き残ったユダヤ精神分析学者フランクルの手記である。だいぶ前に読んだので詳しい内容は忘れたが、著者が生還したとはいえとてつもなく暗い内容である。はっきりいって、婚活アプリで知り合った女と待ち合わせるときに目印として持参するような本ではない

もう1つ笑ったのはハロウィンに無駄に本気を出した桑野で、彼は映画『ハロウィン』の殺人鬼マイケル・マイヤーズのコスプレを部屋でしていたのである。

ハロウィン (字幕版)

ハロウィン (字幕版)

 

どっちも小ネタすぎる。もちろんある程度本を読む人なら「夜と霧」は当然知っているだろうし、映画が好きなら「『ハロウィン』とかベタすぎwww」と草も生やしそうなものなのだが、まさかフジテレビの火曜9時ドラマにこんなものが飛び込んでくるとは思いもよらないので、面食らってしまった。脚本家の尾崎将也はかなりの映画好きのようなので、この程度の小ネタはあっても不思議ではないのだが。そういえば前作の第1話でも、桑野が『ブレードランナー』の話を一人でするくだりがあったな…。

しかしドラマそのものの本筋には少し強引というかご都合主義的なものを感じてしまったし、深川麻衣の芝居にも正直不安があり、ハラハラしながら観てしまう。深川麻衣のファンなので余計に不安である。

とはいえ、不破万作演じる棟梁と桑野のやり取りはよりバカっぽくなっていて面白かったし、深川さん演じる隣人が実は女優であるということが発覚するなど、今後の展開はやっぱり楽しみである。

今クールはたぶん、このドラマと「モトカレマニア」(つまんなかったら1話切りするけど)しか観ない。

↓何度観ても面白い。

 

『ジョーカー』が批判される理由を適当に考える

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※明確なネタバレはないものの、観る前にいっさい情報を入れたくない人は読まないことを推奨します。

ホアキン・フェニックス主演でジョーカー誕生譚を映像化。そのことを知った時点で「これはもうほぼ勝ち戦やん」と思ってしまったわけですが、実際に映画を観たところほぼ大満足で、ここのところずっとApple Musicで本作のサントラを聴いてますし、気がつけば「ジョーカー」とググってしまう日々を過ごしています。恋かしら。

とはいえ、例えばイギリスの新聞ガーディアンにおけるピーター・ブラッドショーのレビューでは、本作は「今年もっともガッカリした映画」「浅い」「フェニックスの演技は悪くないが『ザ・マスター』のほうが上」と書かれ、星二つの評価となっています。そのほかにも海外のメディアではけっこう辛い評が多く、ヴェネツィア国際映画祭で最高賞を獲った作品にしては評論家筋の受けが良くありません。また、ここはてなブログでは絶賛ばかりが見受けられますが、Twitterなどでは「期待外れ」という感想も散見されます。

 絶賛についてはもういろいろなところで言われ尽くされ、書かれ尽くされている気がするので、『ジョーカー』がなぜ一部から批判されるのか、自分なりに適当にまどろっこしく考えてみました。

まずこの映画を批判するときに、「悪に堕ちていく人間に過剰に同調している」というものがあります。この意見を最初に読んだとき、「でもそれではアンチヒーローものやピカレスクロマンはすべて悪い作品ということにならない?」と思いました。例えばジェイク・ギレンホール主演の『ナイトクローラー』や、それこそ『ジョーカー』の下敷きにもなっている『キング・オブ・コメディ』も“よろしくない作品”になってしまうのではないか。

ただ、『ジョーカー』は『ナイトクローラー』や『キング・オブ・コメディ』と比べて、主人公と観客の精神的な距離が非常に近いと思うんですよね。『ナイトクローラー』や『キング・オブ・コメディ』はあくまで客観的に遠くから狂人を見る映画ですが、『ジョーカー』は観客に「狂うのもやむなし」と思わせてしまう。僕なんかは単純なもんだから、ラストに「立て、立つんだジョー(カー)!」と思わずにはいられませんでした。

エンターテインメントストーリーにおいて「共感」という要素は言うまでもなく重要です。観客は主人公に感情移入することで驚き、怒り、涙し、そして最後に(多くの場合)勝利して笑います。『ジョーカー』もほぼこのフォーマットで観客の共感を得ていきます。しかしこの物語において主人公アーサー・フレックが行き着くのは、健全なエンターテインメントのゴールを反転させたような場所です。アーサーに共感してしまった人たちは、自分たちがいつの間にか心地よくわかりやすい物語という乗り物に乗せられて、どす黒い怒りと怨嗟が渦巻く世界にたどり着いてしまったことに気づきます。そして「こんなところに来てしまった」と思うのと同時に、こう感じるのです。「だがこれも悪くない」と。

この映画は極めてシンプルに作られています。もちろん、どこからどこまでがジョーカーの妄想なのか、などといったことなどを考えれば少し複雑に思えてくるかもしれませんが、プロットはとても単純。不遇の男がひたすら痛めつけられ、世間に対する怒りを爆発させて狂う。シンプルで共感しやすい物語は、疲れ切った大衆の心に簡単にしみこんでいきます。こんがらがり、結局はほぐせないかもしれない糸をひとつずつほぐしていく作業に人々は疲れている。それならシンプルにハサミで切ってしまえばいいのではないか。そしてこの映画では、アーサーがまさにハサミを使って凶行に走ります。僕は思っちゃいました。「いいぞ、もっとやれ」と。正直、地下鉄の件もスカッとしました。でも同じように感じる人は少なくないんじゃないでしょうか?

実際にこの映画を見て凶行に走るようなやつは最初からおかしいのだ、というホアキンの主張はしごくもっともだと思います。僕だって「死んだら宴会をする」レベルで嫌いなやつは数人いますが、殺したりはしない。ただ、実際に行動を起こすかどうかはともかくとして、この物語が、常人には理解しがたいはずの怪物が生まれる状況を常人に共感させすぎるほどのわかりやすさで提供してしまったことには一抹の怖さも感じます。そしてこのことは、また別の側面からこの作品が批判される理由にもなっているかと思います。

何度も書いていますが、この物語はとてもわかりやすい。同時に、これまでの映像作品で描かれてきたスーパーヴィランのジョーカーと比べると、今回のジョーカーはとてもわかりやすいわけです。つまり、得体の知れない存在だった過去のジョーカーと比べて、アーサー・フレックのジョーカーは動機がはっきりしすぎている。

例えば『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーは、自分の口が裂けている理由を劇中で何度か説明しますが、そのどれもが真実なのかわからない。すべてウソなのかもしれない。そして彼の凶行の背景には恨みのような、人間っぽい感覚がない。ただ“面白いから”やる。そこには混沌と闇があり、まさしく人ではない何か=神か悪魔のような存在なわけですが、『ジョーカー』のジョーカーはあまりにも人間っぽすぎるのですね。以前のジョーカーを崇拝していた人たちからすれば、今回のジョーカーは凡庸な悪に見えてしまい、失望するのかもしれません。現に「『ジョーカー』じゃなくて『アーサー』でいいじゃん」という意見もどこかで見ました。たぶん、そういった猛者の人たちからすると「こんなのは大したお話じゃないよ。そこいらの常人の雑魚(そこには多分日本で“暴発”した殺人者も含まれている)と同じレベルにジョーカーさんを引き下げるんじゃないよ」ということになるのでしょう。やっぱり一部の人にとって、ジョーカーは神話の登場人物でいてほしいんじゃないかな。

あと単純にあれだな、『キング・オブ・コメディ』とか『タクシードライバー』のオマージュがけっこう露骨なので、そういうところでも冷めちゃう人はいるのかも。特に前者については、あからさまですもんね。シネフィルってそういうのを「下品」と言いそう。

ただ僕は、この映画が良作であるかそうではないかはともかくとして、こんなに陰鬱な物語が日本でヒットして共感を呼んでいる(らしい)ことにはちょっと薄ら寒いものを感じます。僕みたいなちょっと変わり者の底辺だけが共感するような話が、もはやマジョリティに盛大に受け入れられるという状況は決して幸福とは言えないんじゃないでしょうか。もちろんいつだって世界は病んでいるし、人々は憎しみ合い、少数の人間が多くの人間を搾取してきたわけなんですけど。

あ、ホアキンの演技はいわずもがな、この映画は撮影と音楽がやっぱりいいです。けなす人も撮影と音楽だけは褒める人が多い。撮影のローレンス・シャーは『ハングオーバー』シリーズでも監督のトッド・フィリップスと組んでるんですが、実は僕が大嫌いな『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』も撮ってるんですねえ。『ジョーカー』はフィルム撮影だと思いこんでたんですけど、調べてみたらデジタルでした。確かに解像感についてはフィルムにしてはクリアすぎる気がしましたが、色合いがものすごくフィルムっぽい。

音楽はヒルドゥール・グドナドッティルというアイスランドのミュージシャンが担当してるんですが、彼女は『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』であのヨハン・ヨハンソンのあとを引き継いだ人なんです。最近話題のHBOのドラマ「チェルノブイリ」でもすごくいい仕事をしているので、よかったらこちらもチェックしてみてください。これまた気が滅入る話ですが、面白いです。

というわけでまとまりなくつらつらと書いてきましたが、『ジョーカー』は僕のような凡人からすると、結果的に面白い作品ということになっています。続編は作らなくていいんじゃないかと思うけど…。

『若おかみは小学生!』について

www.waka-okami.jp

全然ノーマークだったんですよ、この映画。存在自体は知っていたんですけど、「文部科学省認定」とか「少年向き」「家庭向き」とあって、絵もかわいらしいし自分がわざわざ観るもんじゃないなと。

なんですが、Twitterで「面白いのにあんまり長く上映されないみたい」という声をちらほら見まして、じゃあ観てみるかと思い行ってみました。

結果、ナメてました!すみません!どエライ傑作でした!

原作は令丈ヒロ子さんという方が書かれている児童文学で、全20巻。未読なんですけど、劇場アニメがあまりにも面白かったので読んでみようかと思ってるぐらいです。

若おかみは小学生! 花の湯温泉ストーリー(1) (講談社青い鳥文庫)

若おかみは小学生! 花の湯温泉ストーリー(1) (講談社青い鳥文庫)

 

さらにテレビアニメ版も作られていたようで、これは9月23日に完結していた模様。

www.waka-okami.jp

スタッフが微妙に違うようです。もしかしたら作画も違う?

で、この『若おかみは小学生!』がどういう話なのかというとですね、事故で両親を亡くした小学生“おっこ”こと関織子が、祖母が営む田舎の旅館で若女将として奮闘するというものです。このあらすじを読んで「花咲くいろは」を連想する人は多いと思います。僕もそうでしたが、実は『若おかみは小学生!』は2003年から刊行されているので、こちらのほうが早いんですね。ちなみに「花咲くいろは」も面白い作品だったので、オススメです。

さて映画『若おかみは小学生!』ですが、もしかしたら両親の死は直接的には描かないのかなと思っていたんですよね。おっこが両親と暮らした家を出るときに、遺影を持って出るとかそういうさりげない説明かなーと。でもそんなことはなくて、ここでは詳しく書きませんが結構リアルに怖い事故描写が出てきます。さすがに死体を写したり流血描写こそありませんけど、なんていうかYouTube時代の今ならこういう動画が普通に転がってそう、と思うような妙なリアルさがある。ここでもう「あ、これはぬるい話じゃないぞ」と心をつかまれました。

といってもストーリーのほとんどはほのぼのしたトーンで進みます。特に、ウリ坊という幽霊の少年に促されておっこが若女将になることを宣言する(言わされる)シーンは、戸惑う彼女の取るポーズがいちいちかわいらしい。ライバル旅館の跡取り娘である真月という女の子との言い争いも見ていて楽しいです。

ところが、映画の中には唐突に死んだはずのおっこの両親が顔を出します。最初は夢だということがはっきりわかる演出になっているのですが、次第にそれが現実味を帯びてくる。「これは夢ですよ」という区切りがあいまいになっていきます。そして、おっこの周囲には先述のウリ坊のほかにも幽霊が登場するし、旅館に泊まるイケメン少年の母もこの世を去ったという設定になっています。ネタバレになるので書きませんが、終盤にもある“死”に絡んだ家族が登場します。ほのぼのしたトーンで進むのに、この物語には常に死がつきまとっているんですね。

小学生にして両親が死ぬって、これはもう想像もできないほどのつらい境遇だと思いますが、おっこは基本的には明るく前向きな女の子です。ちょっと強情なところもあるけど、「お客さんのためを思って」健気に行動する小学生。こんな子いないだろと思ってしまっても不思議はないほどのまっとうなキャラクターなんですけど、不思議に彼女の存在には説得力がある。これは、脚本や演出はもちろんですが、おっこに声を当てている小林星蘭という人の力も大きいのではないでしょうか。現在中学生である彼女の声は子供と大人の過渡期にあると思うのですが、このどっちつかずな感じが、やはり子供から大人へと(それは両親の死という過酷な運命によってある意味強制されたものではあるのだけど)成長していく過程にあるおっこのキャラクターと非常にうまくマッチしているのではないかと。

多少の駆け足感はあるものの、長大な原作を1時間半にまとめ上げた脚本家・吉田玲子の手腕もさすがです。この人は山田尚子の大傑作『たまこラブストーリー』や『リズと青い鳥』は言わずもがな、たくさんのアニメを手がけている名脚本家ですけど、今回も見事というほかない仕事をされていますね。占い師の女の人とか唐突に出てきた感はありましたけど、しばらく見てるとすぐに違和感なくなりますし。

この日は『散り椿』『クレイジー・リッチ!』も観たんですが、ダントツでこの『若おかみは小学生!』が面白かったです。Twitter見てるとどうも上映期間が短くなっちゃうそうなんですが、すごくもったいない。観る前の僕みたいに先入観で決めつけてスルーしたくなる気持ちもわからないでもないですけど、「4回泣ける」とか謳ってる某実写映画(4回寝そうにはなった)より1那由多倍ぐらい泣ける名作だと思いましたよ。観る人がもう少し増えれば口コミでさらにお客さんも入りそうなんですけどね…。

映画『若おかみは小学生!』ストレートにメチャオススメです!

若おかみは小学生!  映画ノベライズ (講談社青い鳥文庫)

若おかみは小学生! 映画ノベライズ (講談社青い鳥文庫)

 

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』について

sunny-movie.jp

僕は今39歳なので、この映画はわりとど真ん中な世代なんです。知っての通り、この映画は韓国映画の名作『サニー 永遠の仲間たち』の日本版リメイクなんですね。

ただ、韓国版は主人公たちの青春時代および回想シーンが60〜70年代で、日本版は90年代。なぜ90年代なのかというと、監督の大根仁にとってその時代が特別な意味を持っているからじゃないでしょうか。『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール(以下民生ボーイ)』もそうでしたしね。

この日本版『SUNNY』の製作が発表されたとき、周囲の映画好きの反応はほとんどが「やれやれだぜ…」といったものでした。原因はこんなところでしょうか。

1. オリジナルの韓国版があまりにも名作である

2. 最近の大根仁監督の映画が興収的にも批評的にも微妙である

3. サブタイがダサい(ちなみに自分はもう一つのA面の「それはちょっと」のほうが好きです)

1についてはですね、個人的には僕、韓国版もよくできた映画だとは感じたけどもめちゃくちゃ思い入れがあるわけではないので(内容もあんまり覚えてないので、今回の日本版とどのあたりに違いがあったのか思い出せない)、そんなに気になりませんでした。

自分としては、3の理由もまああれだけど、やっぱここんとこの大根監督の映画が微妙っていうのがでかい気がしますね。つってもドラマは観てないから『SCOOP!』と『民生ボーイ』だけなんだけど。この2本をなぜあんまり良くないと思ったかというところを書き始めると長くなっちゃうしめんどくさいんではしょりますけど、特に後者について一言で表現するならば、「おっさんのひとりよがりなノスタルジーと、『俺もこれやりたい!やらせて!』にはついていけんわ」というところなんですよね。

今回の企画もやっぱり、上の「おっさんのノスタルジーと俺もこれやりたい」を感じてしまったわけで。冒頭から「またミュージカル演出か…」とうんざりするわけですが、これ、言っちゃ悪いけど『ラ・ラ・ランド』の冒頭の劣化コピーみたいな群舞なんですよ。ここでいきなりげんなりする。『モテキ』では『(500)日のサマー』の影響をわかりやすく受けてやってましたね。よく言えばサンプリングなのかもしれないけど、この監督の引用ってなぜかすごく浅く見える。どうしてなんだろうか。

ラ・ラ・ランド(字幕版)
 

それから、当時の都会の女子高生がみんなあんなコギャルみたいだったって誤解されそうな表現もどうかと思いました。まあこれは、たまたまこの高校はそうだったっていうふうに捉えられなくもないですけど、基本的に今回の映画ってすべてが記号的に見えるんです。コギャルもそうだし、奈美(現代パートは篠原涼子、過去パートは広瀬すずが演じている)の家族の関西人描写についてもそう。なんだよ、あのお好み焼き弁当。関西→お好み焼きっていうこの安直な発想!アホな中学生か!あと細かいこと言うと、奈美の話す関西弁が微妙に変だったんですよね。あれ、淡路だからなのかな。いわゆる阪神間の関西弁とは、一部がかなり違っていました。

奈美の兄が『エヴァ』にハマっていてごちゃごちゃ言うところとかも、なんというか「90年代という時代をものすごく雑にまとめたコント」みたいな仕上がりになってました。短いコントならいいけど、2時間の映画の中でこういうことをぽつぽつやられるとそれだけで気分が滅入る。久々にね、途中で映画館を出ようかと思いました。それぐらいきつい。

さらに細かいところを言うとね、三浦春馬が演じるイケメンDJが出てくるんですけど、あの当時にDJやっててヘッドフォンからtrfが聞こえてくるって、超ダサいですよ。一応言っておくと、確かに当時はtrf安室奈美恵など小室ファミリーが最盛期の時代でした。でもあのときまさに青春を過ごしていた人間からすると、小室ファミリーっていうのはメインストリームであるのと同時に、音楽好きからしたら「だっせー音楽」の代名詞でもあったと思うんですよ。コギャルたちが聴いてるのはわかりますけど、あんなシスコかどっかの袋持ってDJしてるやつがtrfなんか聴いてるかな?僕が住んでたのは兵庫の田舎町ですけど、それこそ当時だって音楽好きの間では「trf(笑)」って感じでしたよ。そのあとにCharaの「やさしい気持ち」が流れるところなんかも、曲そのものは好きですけどね、本当にくっそださくて泣きそうになりました。もちろん、洋楽とかを使うとお金が…みたいな事情もあるんでしょうけど、何もヘッドフォンからtrf漏れてこなくてもいいじゃん。そこは音は流さなくてもいいじゃない。

記号的といえば、裕子(現代パートは小池栄子、過去パートは野田美桜)がファミレスで現代の女子高生を見て(みんながスマホ見て目も合わさず喋ってるっていうこれまた記号的な表現)、「今の子は大人しいね」っていうところとかさ、そんな十把一絡げにしていいんですかね。テーブル着いてスマホばっか見てるのは大人だってやってるし、現代の女子高生だってやっぱりきゃあきゃあわめいたりしてますよ。「今の子は」って簡単にまとめすぎ。

そんでもって、この映画の何が一番イヤなのかって、あの頃青春を過ごした人が「あーなつかしいね」っていうノスタルジーに浸るための道具になってる(ように見える)ことなんです。なんか、90年中頃からまさに高校生だった自分にとっては「君も懐かしいでしょ、どう?ツボを押されたでしょ」って押し付けがましく言われてるようで不快度100%。そんなのは内輪で酒飲んでやってろよ、と暴言の一つもかましたくなりました。

とここまでクソミソに書いてきましたが、結局最後まで劇場は出ませんでした。それはなぜかというと、キャスティングと女優たちの演技は良かったと思うから。これは自分だけじゃなくてほかの人も言ってますけど、広瀬すず篠原涼子って最初は「えー?」と思ったんですよ。でも不思議なことに、映画観てると違和感がない。

それから、前からすごいすごいとは思ってましたけど、今回も広瀬すずはすごいですね。この子はこれまで内省的なキャラクターが多かったんですけど、しっかり関西弁(らしきもの)を関西人ぽいグルーヴ感でしゃべれているし、事務所大丈夫かってぐらい白目はむくし、とにかく生き生きしている。広瀬すず以外だと鰤谷役の小野花梨もよかったし、やっぱ小池栄子は安定してる&ドス利かせるところはうまいし、山本舞香はなにげに一番リアルなコギャル感あったし。それに、みんなこの映画の撮影を楽しんでいたっぽい雰囲気はインタビューなどから感じ取れるから、まあやっぱり大根監督は好かれているのかもしれないし、俳優を乗せるのもうまい人なのかもしれませんね。僕は全然この映画好きじゃないですけど、まあ人格が歪んでるんでしょう。ブログタイトル通り筆者の性格が悪いということで、ご査収ください。

「SUNNY 強い気持ち・強い愛」Original Sound Track

「SUNNY 強い気持ち・強い愛」Original Sound Track